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佐藤のパタパタ車~金ピカコラム・Classics

  昭和35年。私が小学校3年生の時に親父が23万8千円の車もどきを1年ロー ンで買った。当時はローン何て言う気の利いた表現は無く、月賦と言った。空冷360CC13馬力の軽三輪だった。ドアが薄過ぎて窓ガラスは収納不可。  そこで窓はスライド式。わかり易く言えば障子と同じ動き。枠がチャチで窓 にガラスは入れられない。ガラスの代用は厚手のビニール。スライドさせる 度に擦れ、傷で透明感が無くなった。新車のうちから雨漏り。因みに屋根は布製。設計ミスか製造技術の問題だったのか、雨が降るとポイントに水が入ってエンジン停止 。冬の朝はエンジンがかからず坂まで押して行って、下り坂でギヤをローに入 れてエンジンを始動させた。おまけに1年の月賦終了時にはもう使い物になら なかった。

   当時、私は私立の小学校に通っていた。公立小学校が1クラス50人という時、同級生は27人。同級生の父親の車は豪華だった。観音開きのクラウン、トヨタ マスターライン、セドリック、オースティン、コロナ、プリンススカイラインが 2軒、ブルーバード。当時の車は大変な高級品。クラウンはデラックスとス タンダード2種のみ。昭和33年で前者が120万円、後者が110万円。大卒初任給が1万円ちょっとの頃の時代だ。トヨタマスターラインの後継車がコロナ。プリ ンススカイラインは、昭和34年の皇太子殿下ご成婚を記念して「プリンス」の 名で発売された。ブルーバードの登場も昭和34年。価格62万5千円。日産は「戦後初の本格的小型乗用車」として売り出した。当初日産は、スノーバードの名前で発売予定だった。発表直前に川又克二課長(後の社長、会長)が 英和辞典でsnowbirdを見て愕然。スラングで「コカインの常用者」の意味があったからだ 。「常用者」と「乗用車」急遽、日産はブルーバードと車名変更して発表した。 「戦後は終わり、国民は明るい未来を目指す」と言う意味を込めて、メーテ ル・リンクの「青い鳥」からの命名だった。翌35年発売のセドリックも童話 路線からの命名。「小公子」の主人公セドリックだ。

   父親参観の日、親父は軽三輪で学校に来た。「佐藤の車、パタパタボロ車」と 同級生から揶揄された。360CCの空冷エンジンは、パタパタと安っぽい音がし たからだ。あの車では来て欲しくなかった。しかし、学歴の無い水道屋の親父 がやっと買った車。とてもそんな事は言えなかった。

   昭和30年代。石原裕次郎さんに代表される日活アクション路線にはフルサ イズのアメリカ車が登場した。「大人になったら、あんな車を買って、馬鹿に した同級生を見返してやろう」と思った。私にとっての努力目標になった。マイナスをプラスに変えてくれた同級生に今では感謝している。

金ピカファッション誕生秘話~金ピカコラム・Classics

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男の遊び場~金ピカコラム・Classics

 英語で「交友関係を見れば、その人物がわかる」と言う表現がある。作家の 阿刀田高は「書斎と女房は矢鱈他人に見せるな」と言ってる。書斎に並んだ書 物を見れば、持ち主の思考なり人間性が露呈するからだ。若々しく魅力的な人 物なのに奥方に会ってガッカリした事が何度かある。逆に理想的な夫婦だと微 笑ましく思えた事もある。

 男の遊び場についても、どんな所で遊んでるかで人物がわかる。パチンコ、 競輪、競馬と同じギャンブルでも客種が大きく違う。仕事で競馬場と競輪場に 行った事があるが、前者と後者の客種の差に驚いた経験がある。

 私は飲む方専門。但し金ピカ先生基準の5条件に合った所へしか行かない。 5条件とは(1)店内が広い,(2)店内が明るい,(3)ホステスが客席で喫煙しない,(4)店内 が静か(少なくとも大声を張り上げる客が居ないのとカラオケが無い事),(5)トイ レが広くて清潔。この5条件を満たすクラブとなると店舗も場所も極めて限ら れてしまう。周囲の会話が会社と上司への不満では酒が不味くなるし、自分の 運迄奪われそうな気がしてくる。もっと現実的な危険は、些細な事でトラブル に巻き込まれる事だ。欲求不満のはけ口が何時こっちに向かうかわから ない。

10年程前の事。上記5条件が備わった店で飲んでいた。ちょっと離れた テーブルの客は、私についたホステスが担当のようだった。しかし、このホス テスは焦らしていて中々向こうのテーブルに行こうとしない。私は「おい向こ うへ行けよ。俺はあのオジサンと喧嘩する気なんてないんだから。それにあ のオジサンと喧嘩しても勝てそうもないしな。」 もっとも相手もそんな事で喧嘩するような風貌では無かった。 

 そのうち気が付くと、この客は帰っていた。そこへボーイが頼んでいない高 価なウィスキーを持って来た。「先程の御客様が先生にと。」 「えっ?」  「先生が紳士だからとオッシャッテました。」 「あの方は何をやってる方?」  「武富士の会長さんです。」 「馬鹿やろう。 だからあのオジサンと喧嘩し ても勝てそうにないって言っただろう! 相手は貸す程金あるんだよ!」 ホス テスとボーイは私の発言に爆笑となった。武井会長の御好意だからいつも自分 が飲んでるウィスキーを1本頂いておいた。

 また或る時は5条件が揃ってる店で、混んでいてテーブルが空く迄カウンター に居た。隣のオジサンと映画談義。このオジサン、相当映画に詳しい。出 された名刺の肩書に唖然となった!東映株式会社代表取締役社長!渡邉亮徳 氏だった。自分の浅薄な映画知識を大いに恥じた。

 5条件が揃った店で遊んでいて、初対面の方から講演依頼された事も何度かあ る。こうなると単なる遊び場ではなく、立派な営業活動の場と化す。私のク ラブ活動も伊達ではなさそうだと自己満足している。